河童伝説を巡る② 「牛久沼の河童」

河童にまつわる伝説は、日本各地に有るそうですが、今回は茨城県の南部に位置する、牛久沼の河童伝説を探ってきます。
今回知った事ですが、牛久沼は沼の北東側に接する牛久市では無く、行政的には南東側の龍ヶ崎市に属するそうです。牛久沼の周辺は他に、北側はつくば市に、北西側はつくばみらい市、そして南西側は取手市とに囲まれた、周囲が約25.5kmで、平均水深は1m程だそうです。
私は45年ほど前に一度来た事が有りますが、その頃は何の予備知識もなく、ただ牛久沼越しに富士山の山頂に夕日が沈む写真を撮影すると言って、連れてこられました。残念ながらその時は雲が多くて、太陽が沈む様子を見る事が出来ませんでしたが、今振り返ってみると、撮影した場所は、牛久沼の北畔、かっぱの小径の南の端辺り、其の時写した写真を見ると、パッとしない写真ですが、手前に牛久沼が広がり、対岸に七浦辯財天の社殿の屋根や幟が見え、その背後に富士山のシルエットが写っています。
牛久沼越しの富士山1980年1月15日.jpg
(1980年1月15日撮影、牛久沼越しの富士山落日)

今回、この牛久沼の北畔に、河童の絵を数多く描き、「河童の芋銭」と称された、小川芋銭の「河童の碑」やアトリエ兼居室として建てられた「雲魚亭」を巡ってきました。
石碑の建てられた場所は、牛久城跡の北の方向で、江戸時代には牛久陣屋が建っていた近くに成ります。途中道路が入り組んで、しかも細くて対向車が来たらどうしようと思いながらの道。それでも分岐点にはしっかりと「河童の碑道」と記した道案内が建てられていて、迷うことなく専用の駐車場にたどり着くことが出来ました。

まず、「河童の碑」を見に行きます。それは林の奥に建てられていました。
河童の碑1.jpg
気に成ってのは石碑手前の通路の両側に設置されたベンチが、向かい合わせでなく皆西側の竹藪の方を向いている。ここに座って何が見えるのか、竹林や雑木ばかりなのに。それはきっとこの西側に広がる牛久沼を望む為のものだったのではと、推定しました。竹は成長が早いため、今はすっかり視界を遮ってしまったのではないかと。
石碑の前に来ました。
河童の碑2.jpg
(牛久市指定文化財「河童の碑」)
横に建てられている、牛久市教育委員会が建てた説明文を参照させて頂くと。
<河童の碑は、小川芋銭没後の昭和27(1952)年に、芋銭を敬慕する池田龍一他7名の方々によって建立された。・・・(後略)>
石碑の表には特に石碑の題額は無く、河童(恐らく成人、いや人間で無いので何と言うか)が、体育すわりの姿勢で座っている絵とその脇に、一言「誰識古人畫龍心」と記されています。河童が描かれているから「河童の碑」と言う事でしょうが、石碑建立の目的からすると、「小川芋銭先生顕彰碑」に成るのでしょうか。
碑陰を確認します。石碑全体に色々と刻されています。ですが林の中で、光が十分では無いのか、彫られている線が細いせいか、碑文を読むのが結構難しい、正面や斜め、そして下からと何枚か写真に撮って、改めて写真を拡大したりして、何とか読み移すことが出来ました。一部旧字体等有りますが、そのまま移しました。
「河童の碑」の碑陰に刻された文.jpg
(石碑の碑陰には、芋銭自筆の略歴と、別に芋銭の略年譜や建碑の仔細等が刻されています。)
右側の略歴の文字は、芋銭の自書したものを、石に刻んだと有り、やさしい細い線の文字で、特に判読することが難しかった。

この石碑から南に少し行ったところに、大きな自然石に「牛久沼河童松」と刻した石碑が有ります。
「牛久沼河童松」の碑.jpg 河童松の碑文.jpg
(「牛久沼河童松」の碑表と、碑陰の「河童松」の碑文)

碑陰に刻された「河童松」と題した碑文を、参照させて頂きます。
<牛久沼を望むこの地にひときわ高くそびえ牛久の歴史を静かに見守ってきた一本の老松があった。
 樹齢五百年余を数えたこの松は「河童松」と呼ばれ一つの伝説と共に地域の人々に親しまれてたが惜しくも先年枯死してその歴史を閉じた。
 沼周辺に遊ぶ水鳥たちが羽を休める格好の場として夕暮れともなるとこの木に数百羽の鳥が集まり塒(ねぐら)としたという。
 当然のことながらこの老松は芋銭の画題となるところなり「牛久河童松」として傑作の一つに数えられている。
 芋銭生誕百二十年を迎えたこの機に河童松を植樹すると共に芋銭自筆になる「牛久河童松」を碑に刻みここに建立する。
    一九八八年二月   小川芋銭生誕百二十年記念祭実効委員会 会長・牛久市長 大野正雄 >

それで、河童伝説について、石碑の脇に「カッパ松」と題して建てられていましたので、こちらも参照させて頂きました。
<そのむかし、村の若者が沼に住むカッパに水の中に引き込まれて、死んでしまうことがたびたびありました。
 そこでむらでいちばん屈強な若者が、カッパ胎児をすることになったのです。
 ある日、その若者は、とうとうそのいたずらカッパを見つけました。沼のほとりで昼寝をしているではありませんか。
 若者はカッパを陸へ引きずり上げ、松の木にくくりつけて殺そうとしました。
 ところが、カッパがあまりに泣いて詫びるので、木の優しい若者は、二度と悪事をしないことを約束させ、カッパを放してあげました。
 それ以来、沼で溺れる人はなくなりました。また、カッパをくくりつけた松は、「カッパ松」と呼ばれるようになったと言う事です。>

河童伝説としては、良くある筋書きに成ります。前回紹介した「小倉川の河童」もほぼ同じようなものです。

最後に、牛久沼の北東部、稲荷川が沼に流れ込む近く、牛久市観光アヤメ園に「河童の像」が有ると言う事で寄ってきました。
アヤメ園の河童像1.jpg
なるほど、アヤメ園の中ほどに、何やら物体が見えます。近寄ってみます。

アヤメ園の河童像2.jpg
河童の像です。先ほど見た「河童の碑」に描かれていた河童の図と同じ格好をした河童像です。近くにこの像に関しての案内はなにも有りません。こんな猛暑の中、木陰の無い場所にいたら、たちまち頭のお皿が乾いてしまうのに。寝ている訳では有りません、両目は大きく見開いています。どこを、何を見ているのか。

周辺を歩いて行くと、今度は子供の河童が立っています。河童の前方に一匹の犬が、カッパとじっとにらみ合っている様子です。子ガッパの目を大きく見開いて、犬を睨みつけているようです。目をそらした瞬間に、犬が飛び掛かって来そうです。
犬と河童像.jpg

アヤメ園は今は何もなく、ただ暑いだけです。周りを見回すと、稲荷川に架かっている三日月橋の橋詰にも、河童が座ってこちらを見ている様、近くに行くとアヤメ園内に座っていた像と同じ格好をした河童像です。こちらも台座に何の表示も有りません。
三日月橋の河童像.jpg
誰の作品なのか、よくよく観察をしていくと、見つけました人物の名前です。「田畑 功作」と出ています。
どのような人物か、検索したところ、「日本の彫刻家。富山県高岡市出身。」と出ていました。(ウィキペディアより)
この彫刻家が作成した有名人・著名人・有名馬牛などの像は全国各地に1千体余り存在するそうです。

この牛久沼の近くには、多くの河川や湖沼が有りますから、カッパにまつわる話も多く存在する地域かもしれません。また、探してみます。

今回の参考資料:
・「牛久市文化財ガイドブック」牛久市文化遺産活用実行委員会 2015年発行
・牛久市ホームページ
・ウィキペディア「田畑功」

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