河童伝説を巡る③ 「宝憧寺の河童」

先日、埼玉県志木市を訪れました。目的は河童伝説が残る、同市の「宝憧寺」と、市街地に設置された多くの河童の像を見て歩くためです。
志木市は栃木県の南隣、埼玉県に有りますが、電車で2時間以上かかりました。
栃木駅から両毛線で「小山駅」へ、そこで宇都宮線に乗り換えて「大宮駅」、更に京浜東北線に乗り換え「南浦和駅」へ、次に武蔵野線に乗り換えて「北朝霞駅」ここで駅の改札を出て、直ぐ近くの東武東上線の「朝霞台駅」へ移動。目的の「志木駅」はお隣の駅に成る。
日曜日に出かけたが、JR宇都宮線は混んでいて、小山から大宮までずっと立つことになった。実はこの間55分、私が立った前の席に座っていた若い女性の方に、席を譲られた。突然声を掛けられたので、咄嗟に「大丈夫です。」と返した。空席が有れば絶対座るのですが、まさか席を譲られるとは。自分としてはまだそんな年寄りでは無いと思っている。女性の方とすれば、目の前に立つ私に、席を譲らねばと判断されたのだろう。それから小一時間も立ちっ放しでいると、さすがに少ししんどく成っていた。それを察したのか再度その女性が声をかけてきた。それでも今更座れない。大宮駅で降りる際、その女性に気遣ってくれた礼をした。ここで京浜東北線の始発電車の座席に、やっと体を沈めることが出来た。

志木の駅で、さっそく河童像が私を迎えてくれます。駅の改札の手前左の壁際に、招き猫の様に座布団に座って、右手を上げて招く小さな河童像です。事前情報を持たなければ、絶対に気付かずに改札を出てしまうところです。
まねきがっぱ.jpg

ここで、東武東上線の志木駅の駅舎の位置は、志木市では無く南隣の「新座市」の北東の隅に当たる。そして新座駅は新座市の中ほどを横断して抜けるJR武蔵野線の、JR新座駅が有るため、こちらは「志木駅」としたものと推定されます。従がって駅南口は新座市側の駅ロータリーが有るが、駅舎の反対側東口(これもチョッと変かな、南口の反対だから北口ではと思うが)に駅前ロータリーが無く、駅舎の北西側に建つ「マルイファミリー志木ショッピングモール」のビルの前に、志木駅東口ロータリーが出来ている。面白い形態に成っている。

志木駅東口を出て、数歩歩くと志木市側に入る、そこに大きな河童像が建てられている。「待ち合わせ河童」と名付けられている。駅の東出口に向かって、直立し大きく右手を上げて「いらっしゃい」と声をかけて来るようです。
まちあわせ河童.jpg 台座銘板.jpg
河童像の立つ台座背面に掲げられた銘板には、志木市の説明文が有ります。
<志木市は、荒川・新河岸川・柳瀬川の三本の河川により、農地を潤し、舟運で栄え、水難に立ち向かい歴史を歩んで来ました。これらの河川のもたらす恵みと災いは、河童が住むという伝説を生みだします。経済の発展と共にうしなわれた水の美しさは、「川をきれいに」の願いのもと、市民の努力によって取り戻され、未来に引き継ぐための活動がおこなわれています。>と。

この文を読んでいると、私の住む栃木市と多く共通するところが有るように感じられ、志木市に一層の共感を持ちます。ちなみに栃木市だったら、思川・巴波川・永野川と言ったところでしょうか。

河童伝説の有る「宝憧寺」に向かいます。宝憧寺は志木市の市街地の中ほど住宅街の中に有りました。
宝憧寺山門.jpg 宝憧寺本堂.jpg

山門入口横に志木市教育委員会が掲示した「寶幢寺」の説明文によると、
<正式には地王山地蔵院寶幢寺と称し、江戸期には醍醐三宝院を本山としていましたが、明治二十七年から京都智積院を本山とする新義真言宗智山派となりました。その創建年代については、建武元年(1334)四月に祐円上人が開山したという説や、現在の寺の門外の西方にあった墓場の中の地蔵堂を基に天正年中(1573~92)に新寺として開山したと言う説、・・・(あと略)>と言う由緒のある寺院のようです。
そしてこの説明文の最後に、<この寺には「お地蔵さんとカッパ」という伝説。>などが有ると記されています。

山門を入って本堂への途中、右手奥に大きな長屋門、そしてその先に「文殊堂」が建っていますが、その右手前に「大門」と称する1体の河童像が有ります。正座をして両手で胸の前にささげた、蓮の葉でしょうかその上に、魚が二尾載っています。両の目を大きく見開き、口をへの字に、神妙な姿勢の河童像です。

では、宝憧寺の河童伝説とはどんなものなのか、日本国中の河童伝説を収集した、柳田国男先生が著した「山島民譚集」の「河童駒引」の中、「和尚慈悲」として、次のように紹介されていました。抜粋をさせて頂き紹介をします。
<東京近傍に於いては武蔵北足立郡志木町、旧称を館村と称する地に於て、引又川の河童宝憧院の飼馬を引かんとして失敗す。馬の綱に搦められて厩の隅に倒れ馬に蹴られて居り、和尚の顔を見て手を合わす故に、同じ誓言をさせて後之を宥す。此河童も甲斐飛騨其他の同類の如く、翌日の夜明けに大なる鮒を二枚和尚の枕元に持来り、当座の謝意を表したりと云えり【寓意草上】。>

尚、「志木市史 民族史料編1」には、「宝憧寺の地蔵さんとカッパの話し」として、河童を助けるのは、寺の和尚さんではなく、ご本尊のお地蔵さんと成っています。

宝憧寺の境内には、前掲の伝説の謝意を表す鮒二尾を持ってきた「大門」と称する河童像の他、二匹の子供を抱いた河童像「宝憧寺の河童」が、本堂と庫裏の間に置かれていました。
大門.jpg 宝憧寺カッパ.jpg

それでは、志木市の街中を歩いて、各所に置かれている河童の像を見て廻りたいと思います。

さっそく見つけました、本町1丁目志木市商工会の入口横、小屋の中にお座りした河童像「きずーな」。そして本町2丁目川口信用金庫志木支店前の「カッピー」です。
きずーな.jpg カッピー.jpg

本町通り(埼玉県道36号線)を、北上していくと柳瀬川に架かる「栄橋」を渡ります。橋の上から下流方向を見ると、左側から流れてきた新河岸川に、橋の直ぐ下流右岸に合流しています。
柳瀬川。新河岸川合流点.jpg

そして、この柳瀬川と新河岸川とに挟まれた所に、2022年7月に志木市役所新庁舎が建てられています。
志木市役所.jpg

この市役所前広場の東側、新河岸川の右岸に置かれた石の割れ目から中を覗くと、中に2匹の河童が、隠れていました。「イロハガッパ喋喋喃喃」と称する河童像です。又、市役所前の道路を渡った南側、中洲状に成った公園の隅に、これも石の中に隠れる様に1匹潜んでいました。「宙太郎」と名付けられて河童像です。イロハガッパ喋喋喃喃.jpg 宙太郎.jpg

更に同じ中洲の公園内に、空を泳ぐ河童が2匹いました。
ユーユー.jpg スイスイくん.jpg
「ユーユー」と「スイスイくん」の2匹です。

だいぶ見つけましたが、まだまだ居そうです。今度は新河岸川に架かる「いろは橋」を渡って新河岸川の左岸下流側に、ぼ~然と建つ河童像が。名前は「遠い記憶 波動」と成っています。
遠い記憶 浪動.jpg 待太郎.jpg

更にその先に有る、「せせらぎの小径」に向かうと、居ました。座り込んで両の手で頬杖をついた「待太郎」です。

せせらぎの小径を歩いて行くと、石の上に河童の足跡が付いています。近くに河童は居ません。その先の水の無い水槽に泳ぐ格好の河童が一匹「遊花子」と名付けられた河童像です。甲羅干しをしているのか。それより先に頭のお皿が乾いては大変ですよ。

そこから新河岸川上流左岸に有る、「宗岡第四小学校」に向かい、正門周辺の草陰などを探索したが、見つけられず。時間切れで志木駅に戻ることに、帰りは疲れたので路線バスにて、駅まで戻りました。

最後に、志木駅東口ロータリーに3匹見つけて終了です。
引又おやじ、お迎え母さん、おすましくん.jpg

石の上に胡坐をかいて座っているのが「引又おやじ」。上半身だけ見えているのが「お迎え母さん」。そして後ろ姿の子どもの河童「おすましくん」。
まだまだ居るのでしょうが、今回はここまで。また2時間以上電車に揺られて、帰宅の途に就きます。電車座れれば良いのですが。

今回の参考資料:
・「増補 山島民譚集」柳田国男著 関啓吾 大藤時彦編
・志木市ホームページ
・しきしまちあるきマップ




この記事へのコメント