白石家戸長屋敷顕彰碑(栃木市大平町)

栃木市大平町西山田地区を横断するように走る一本の道路が有ります。道路の通称は「ぶどう通り」。その名前の通りこの道路は、太平連山の南麓に広がるぶどう団地を通っています。道路の両側には、ぶどう園やぶどうの直売店が連なっています。6月から10月のぶどうの収穫期には、多くの観光客が訪れ、ぶどう狩りを楽しんだり、直売所で採れたてのぶどうを買っています。
私も毎年足を運んで、採れたての巨峰やシャインマスカット買っています。店先には他にも多くの品種のぶどうが並んでいます。

そんな「ぶどう通り」の中ほど北側に、「栃木市おおひら歴史民俗資料館」が建っています。この歴史民俗資料館には、地元に有った「七廻り鏡塚古墳から出土した、舟形木棺や組合せ木棺、そしてそれら木棺内に収められていた、「黒漆塗弓」「鉄鏃(鉄鏃)」「鳴鏑(なりかぶら)」「鉾(ほこ)」等が展示されています。いずれも国の重要文化財に指定されています。

今回目的の石碑はその資料館の右隣に建つ立派な長屋門の手前、入口に向かって右脇に建っています。
白石家戸長屋敷長屋門.jpg
(白石家戸長屋敷長屋門。私が訪れた時は曼殊沙華が真っ赤に咲いていました。)

石碑を見てみましょう。正面上部には横書きにて「顕彰碑」と大書され、その下碑文のB農棟には、副題として「白石家戸長屋敷」と碑文の文字よりは大きく縦書きされています。
顕彰碑正面.jpg

碑文を書き写しました。拓本で採るのが良いのでしょうが、私はそんな技を持っていないので、写真に撮って読んで書き写しています。
白石家戸長屋敷顕彰碑(碑文).jpg

碑文の末尾に記されていますが、この碑文を撰された人物は、当時大平町の文化財保護審議会の会長「関 忠次」氏、碑文を書かれたのは、同じく当時大平町長の「椎名甲子一」氏に成ります。
この碑文には、元所有者であった白石家の由来が、平安時代から現在に至るまで、そしてその屋敷や土地を、当時の大平町に寄贈された経緯等が記されています。

長屋門の入口には、家紋「丸に隅立て四つ目」を入れた門幕が設置されて、明治時代戸長であった格式を演出しています。
明治6年10月改の「杤木縣管内戸長副姓名簿」を見ると、「第八大區一ノ小區に戸長白石健藏 都賀郡山田村住」と記されています。
門幕家紋「丸に隅立て4つ目」.jpg

長屋門を抜けて中に入って見ます。
白石家戸長屋敷母屋.jpg

門を抜けた先には、茅葺屋根の母屋が、太平連山をバックに、堂々とした雰囲気で建っています。
後方の太平連山の一番高い頂を見せている山が、江戸時代に白石家の先祖が、靈夢で見たという晃石神社が山頂に鎮座する、標高419メートルの晃石山(てるいしさん)に成ります。
約2000坪の敷地内には、母屋や長屋門の他に、収納蔵・納屋・東蔵・味噌蔵・離れ座敷などの建物が建てられています。

このような建物が、良く保存されていること、素晴らしいと感じました。

今回の参考資料:
・「白石家戸長屋敷ガイド」 栃木市おおひら歴史民俗資料館発行
・「下野七廻り鏡塚古墳出土品ガイド」 同上発行
・「杤木縣管内戸長副姓名簿」 

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