兵庫県福崎町の迫力満点の河童像

兵庫県姫路市の北東部に隣接する福崎町は、日本民俗学の創始者「柳田國男」の出身地である。
福崎町にはJR姫路駅から播但線(ばんたんせん)に乗れば、約30分、大阪発鳥取行き特急「はまかぜ」なら、姫路駅から半分の15分程で行くことが出来る。
JR福崎駅のホームに降り立つと、かつての栃木駅の様な雰囲気を感じるホームであったが、駅舎や駅前広場は、新たに整備されたようで、地方都市の玄関口のスッキリした新しさがある。駅前広場には、昭和26年(1951)に文化勲章を受章、昭和37年(1962)福崎町名誉町民となった、柳田國男の歌碑が建てられていました。
柳田國男歌碑.jpg 柳田國男碑銘.jpg
又、駅前広場の中ほどに、大きな円筒形の水槽が設置され、そこに時間になると黒い長髪を逆立て、全身赤褐色の体に大きな口、蛇の様な眼光で睨みつける出で立ちで現れたのは、恐ろしい形相の河童のガジロウである。
福崎駅前.jpg 駅前水槽に出現した河童.jpg
恐ろしい形相であるが、両手で胸の前に持っているのは、「ようこそ ふくさき江」の歓迎ボードである。
知らずに見たら、子供だったら泣き出してしまうのではと、それほどのリアルさである。
駅前から歩いて柳田國男の生家が有る、辻川山へ向かう。
市川に架かる神崎橋より上流側を望む.jpg
(町の中央部を流れる市川に架かる「神崎橋」より上流側を望む。)

福崎町は街の中央部を、播磨五川のひとつ「市川」が南流。播但線は市川の西側を通っているが、福崎町役場は東側の中国自動車道、福崎インターチェンジ近くに有り、柳田國男の生家が有る、辻川山公園も市川の東側に位置する。福崎駅から辻川山公園までは、市川に架けられた「神崎橋」を渡る、約1.8kmの道のりで、30分近くかかった。

辻川山公園近くの「辻川観光交流センター」の前に、又々恐ろしい姿の河童の像が設置されていました。
縁台将棋で長考する河童.jpg 馬車の荷台に載って浮かれる河童.jpg
縁台で将棋に長考の格好のガジロウ像。そんなに考え込んでいると、頭の皿が乾いてしまいそうです。
又、馬車の荷台に乗ってはしゃいでいるのは、子供の河童達か。

福崎町の街中あちらこちらに、こうした「妖怪ベンチ」が設置されているそうで、それは河童だけではなく、「砂かけ婆」や「一反もめん」「子啼爺」「座敷童子」などなど、なんと23体も有るらしいです。なにか水木しげるワールドの様な感じです。
今回は歩きで来ているので、それらを見て廻ることが出来ず残念です。

さらに辻川山公園に向かって行くと、又現れました妖怪ベンチ。今度は馬を川の中に引きずり込もうとしている、「河童駒引」の像です。最新作の様です。
馬を川に引きずり込む河童.jpg

辻川山公園内にも多くの河童像や妖怪像が、有るそうで、子供達が遊ぶ遊具にも妖怪たちが共存しています。
公園の滑り台も河童.jpg
この滑り台も強烈です。河童の大きく開いたくちの中から滑り降りる子供達、怖くは無いのかと心配してしまいます。
公園内の池の脇に石の様に固まった河童が一体。河童河太郎(ガタロウ)とのこと。
河童の河太郎.jpg
池には色とりどりの鯉が泳いでいます。が河童が現れるという時間になると池の周りに、多くの見物人が集まってきて、今か今かと池の水面に目を凝らして見ていると、水面に突然泡がブクブクと発生して、いよいよ河童のお出ましの様、周りもざわついて来ます。
鯉が泳ぐ池.jpg 水面に泡が立ち始める.jpg
水中から例の黒い長髪の河童が、顔を現しました。こちらは河童河次郎(ガジロウ)です。
河童の河次郎出現.jpg
福崎町のホームページの説明によると、駅前の水槽と辻川山公園の池とは地下水路で繋がっていて、ガジロウがこの間を行き来しているとの事。お疲れさんです。
次に、直ぐ近くの柳田國男の生家へ向かいます。
柳田国男の生家.jpg
現在、この建物は県指定文化財と成っています。掲示されている案内文を参照させて頂くと、
<柳田國男は、明治8年(1875)にこの家に生まれ、幼時10年間をここで過ごしました。彼は、この家を「日本一小さい家」といい、それ故におこった家族の不幸から『故郷七十年』の中で「この家の小ささという運命から私の民俗学への志の源を発したといってよい」と語っている。平面構成は4畳半2間と3畳2間の整形四ツ間取り、田の字型である。江戸時代中期(18世紀中頃)の建築と考えられ、当時の一般農家の基本的平面を持つ民家として貴重である。>としている。
家族の不幸とは何だったのか、この家に両親と長兄夫妻、國男・弟の静雄・輝夫の七人で住むのには、何かと無理が有ったのだ。
ちなみに國男は旧姓松岡家の六男としてこの家で生まれています。
長兄(鼎)の若い妻は离別して実家に帰ってしまった。遂には松岡家がこの家を売り払い、先祖代々の故郷をすてて、國男らの母の実家のある加西市北条町へうつり、ついで千葉県布佐へ移住する原因となりました。

私はこれまで、河童の姿を思い浮かべるとき、緑色で髪の毛の短い(まさにおかっぱ頭)、背中に甲羅を付けた格好を連想していましたが、今回の福崎町の河童は、恐ろしい妖怪の姿である。
しかし、柳田國男の「遠野物語」にはこんな記述が見られます。<外の国にては川童の顔は青しと云ふやうなれど、遠野の川童は面の色赭(あか)きなり。>と。遠野の河童も赤い色をしている様です。今度は遠野に行って、確認して見たくなりました。
これまで河童は、どちらかというとかわいらしく描かれている物を、多く目にして来ましたが、今回の福崎町の河童は、リアルで、河童が実際に居たらこんな姿なのかと、納得してしまいます。





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